分岐器

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ぶんぎき
turnout , switch and crossing , points and crossing , switch and frog
ひとつの軌道から他の軌道へ列車が乗り移る装置。分岐器の線形として最も普及している片開き分岐器。

分岐器とは、軌道を二つ以上の軌道に分岐させるための軌道構造のことである。

また、他の軌道と平面交差させるために設けられた軌道構造は、厳密にいうと分岐器ではないが、一般的にこれらに含まれることが多い。

鉄道開通時代の分岐器

日本では、明治5年にイギリス人技師の指導のもとで、ポイントクロッシングが製作され、鉄道開設時代分岐器を敷設した。そして、明治32年には、政府が指定した東京三田農具製作所でポイントとクロッシングの製作が開始された。

明治38年には、分岐器の製造も行われるようになった。

大正14年形分岐器の制定

明治39年には、鉄道国有法の公布と共に、それまで用いられてきた海外製の分岐器を整理統合して旧形定規図が製作された。

この時の代表的な分岐器は、明治39年達第150号に制定された30kgレールの8番・10番の片開き分岐器で明治39年式と呼ばれている。

引き続き旧形定規図の製作作業は大正7年まで続けられ、明治41年帝鉄乙第347号で制定された37kgレールの8番・10番の片開き分岐器の明治41年式が代表的な分岐器である。

その後、大正8年より大正14年まで国鉄にて独自の設計が進められた。そして、大正14年形分岐器として定規図が制定された。

帽子形分岐器の使用

大正15年からは、ドイツのクルップ社から特殊な断面形状をしたレールが輸入され、ドイツ形の弾性ポイントの試験敷設が行われた。結果は優秀であったが価格が高価なため、これに変わるものとして昭和10年に50kgレール帽子形ポイントが開発された。

その時、昭和3年から開発されていた鈍端可動クロッシングと組み合わせて昭和25年まで主要幹線に敷設された。

しかし、鈍端可動クロッシングは、レールのふく進による転換不能継目部分が弱点となり、昭和26年以降は高マンガン鋼で製造されている固定マンガンクロッシングが開発され取り替えられた。

当時、この組み合わせが最も進んだ分岐器として、帽子形分岐器は、帽マン形分岐器と称して多数敷設された。

戦時形分岐器の敷設

戦時中の物資不足から、戦時形分岐器が敷設された。

大部分は材料を節約したもので、クロッシング大床板を廃止したり、ウイングレールを短くした。

59形分岐器の開発

59形分岐器は、大正14年形分岐器の欠点を改良するため、昭和34年に入射角が無しで水平ポイント犬クギにて締結する構想で、東北本線の黒磯駅に試験敷設された9種類の分岐器の総称である。

試験敷設された主な分岐器の形式は、

  • 59N型(普通型)
  • 59So型(スラックなし)
  • 59E形(弾性ポイント)
  • ドイツE型(弾性ポイント)
  • ドイツN型(ピボット式)
  • 50ISoA形(傾斜式スラックなしA型)
  • 59ISoE型(傾斜式スラックなし弾性ポイント)
  • 59ISoB型(傾斜式スラックなしB型)
  • 59ISoE型(ドイツ型・傾斜式スラックなし帽子形の弾性ポイント)

である。

Nレール用分岐器

今まで使用されていたレールの断面形状を改良・研究されて、Nレールが全面的に採用された。そのため、分岐器についても、大正14年形分岐器の欠点を改良した59形分岐器を基本として、ウイットねじNレール用分岐器が設計され、昭和38年から昭和43年まで敷設された。この分岐器は、別名、旧Nレール用分岐器ともいわれている。

その後、昭和43年に、JISウィットねじがISOメートルねじに切り替わったとき、Nレール用分岐器のウイットねじを部分改良して、メートルねじNレール用分岐器が設計・敷設されてた。

新幹線用分岐器の開発

昭和32年に新幹線構想が提案されると同時に、210km/hの高速運転でも滑らかに分岐器を通過できるよう、新幹線用分岐器が開発された。

ポイントの構造は、継目がない弾性ポイントを採用し、軌間線欠線部がないノーズ可動クロッシングを採用した。

そして、昭和55年には、新幹線の小山試験場にて284km/hの高速運転の試験が行われた。

昭和51年から山陽新幹線が建設され、全面的に60kgレールが採用されたた。その後、新幹線においては、すべて60kgレールで敷設されている。

高速用分岐器(改良形分岐器)の開発

在来線においても、メートルねじNレール用分岐器の制定と共に、基準線側の通過速度は100km/hの速度制限が行われていた。

昭和40年頃から高速用分岐器改良形分岐器)が開発されて、弾性ポイントH形ガードを使用した改良形分岐器が試験敷設されて、130km/hの高速走行試験が行われた。

そして、改良形分岐器として制定され、昭和59年には、湖西線において164km/hまで高速試験走行が行われた。

省力化軌道用分岐器の開発

昭和40年代に入り、新幹線と在来線において大量の建設時代が到来した。その反面、将来の保守量の増加に不安があるため省力化軌道が研究され敷設されるようになった。

分岐器においても、この流れがありスラブ分岐器木まくらぎ直結分岐器といった省力化軌道用分岐器が敷設された。

また、保守用車などを本線へ入れる際、普通の分岐器では保守に労力が掛かるため横取り装置も開発されている。

現在の標準的な分岐器

現在敷設されている標準的な分岐器の種類は、

が一般的である。