鉄道開設時代分岐器
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てつどうかいせつじだいぶんぎき
鉄道開設時代分岐器とは、日本で始めて鉄道が運行された当時に設計された分岐器である。
日本初の分岐器
日本に鉄道が輸入された明治5年には、新橋・横浜駅間において11台の分岐器が稼動していた。
その当時の分岐器は、主要部品においては外国製が使用されていたが、一部の部品(ポイントとクロッシングといわれている)においては、外国人の技師と政府の指導で、明治32年に政府が指定した東京三田農具製作所で製造された。
その後、明治38年には、分岐器の製造も行われるようになった。
旧長浜駅29号分岐器ポイント部
現在、保存されている最古の分岐器は、北陸本線の長浜駅にある鉄道記念物のポイントである。その、旧長浜駅舎横には、鉄道開業時の分岐器のポイント部分が保存されており、銘板に以下のことが記されている。
長浜駅の開業は1882年(明治15年)3月。それから駅構内で約80年間、使われてきたのがこのポイントです。イギリスのキャンメル社から輸入され、本線に使われてきた後、計重台線(貨車の重さを測る設備)にと二度の勤めを果たしました。普通、ポイントは痛みやすく長年使われることはありませんが、このポイントは酷使をまぬがれたため生き残り、ついには現存最古のポイントとなりました。
レールと枕木の座金には、"KOBE 1881 I.G.R. MAKERS"の文字があり、鉄道局神戸工場製を示しています。鉄道用品は輸入に頼る時代でしたが、早くも先人たちはこのような単純なものから国産化を進め、外国依存から抜け出そうとしていたのです。旧長浜駅舎とともに、このポイントは日本の鉄道創業期を語る貴重な文化遺産といえます。