皇紀レール

提供: 保線ウィキ
2015年7月24日 (金) 15:39時点におけるS2technologies (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
こうきれーる
Koki-rail
日本製鉄で皇紀2603年に製造された30kgレールロールマークの意味は左から、30kgレールを表す「30」、ASCE形レールを表す「A」、日本製鉄の社章、皇紀の製造年を表す「2603年」縦棒の本数で製造月を表す「10月」製鋼法のひとつである平炉製鋼法の「OH」。

皇紀レールとは、レールロールマークの製造年が神武皇紀(神武天皇即位からの年数とされている)で入ったもの。これは、日本製鉄(八幡製鉄)が、太平洋戦争末期から戦後の混乱期に製造したもので、皇紀2601~2608年製が製造された。(終戦は西暦1945年8月15日)

概要

皇紀は、最初の天皇とされる神武天皇が即位したと伝えられている年(紀元前660年)を元年とした紀年法。

明治5年11月15日(西暦1872年12月15日)に政府が公式に採用した。旧日本軍の兵器の型式はその兵器が採用された年で表わされているが、その年は、皇紀のものである。例えば、ゼロ式戦闘機(ゼロ戦)は、皇紀2600年(昭和15年、西暦1940年)に採用された戦闘機である。

昭和15年(西暦1940年)が皇紀2600年の節目の年に当たるということで、当時、日本全国で様々な記念行事が行なわれた。国策会社の日本製鉄でも、これを機にレールの製造年の表記を皇紀に切り替えられた。これが、レールのロールマークに皇紀が見られる所以である。

その後、皇紀は、明治憲法下での天皇制や戦争遂行と深くかかわっていたため、戦後は公式には使われなくなった。

ところが、戦後の混乱期数年間は、皇紀年のレールがそのまま製造された。物資が少なく庶民は、闇市や買い出しによってなんとか生活していた頃であり、産業界では石炭・電力・鉄鋼などの基幹産業に資源を優先的に投入する傾斜生産方式や、少ない資源を集中させて生産を維持する集中生産方式をとって、なんとか生産活動を維持しようとしていた頃である。

日本製鉄でも、八幡製鉄所に資源を集中させて鉄鋼生産を継続させたそうで、紀年法の変更までは思いが及ばなかったようである。

対応表

皇紀 2601年 2602年 2603年 2604年 2605年 2606年 2607年 2608年
西暦 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 1946年 1947年 1948年
年号 昭和16年 昭和17年 昭和18年 昭和19年 昭和20年 昭和21年 昭和22年 昭和23年